4.総合診療計画に則った治療

 2012年4月初診、64歳男性。主訴は、義歯を作製して欲しい。子供の頃のトラウマがあり、25歳から1回も歯医者に通ったことがないとのこと。もちろん義歯を入れた経験はなく、柔らかい食べ物を顎堤(土手)で咬んでいたとのこと。
 最初に拝見した時は、単純に義歯を製作すればよいだけと思ったが、暫間義歯の製作にあたって、どのように治療するか悩んでしまった。と言うのは、上顎右側の歯および下顎の前歯が挺出しており、義歯を装着するスペースが全くないことに気づいたからである。スライド中央に咬合器に模型を付着した状態を示すが、上顎前歯をいかに排列するか?から模索が始まった。なお、水平的下顎位の確認のためにゴシックアーチの記録を行った。また、このケースで抜去した歯は歯根の全くない左上3、左下3および右上6の頰側根のみである。

 2012年8月に暫間義歯を装着した。結局上顎前歯は、義歯の安定を優先したことで、このような形に落ち着いた。上顎義歯に対する違和感はそれ程でもなく、このような義歯にもかかわらず、食事がとりやすくなったとおっしゃっていた。

暫間義歯で下顎位の確保を行い、次の段階の治療に進んだ。まず、残根状態の右上5を矯正的挺出することで抜きやすくしたうえで抜去し、左上5部に移植した。なお遠心にミニインプラントを植立し、移植歯の固定を図った。つぎに、右上6の口蓋根を抜去し、右下4部に移植した。なお、頰側根は廃棄した。移植が成功すれば、上下顎とも切歯を除いた左右両側に支台歯が存在することになり、義歯の安定性が向上する。
 右上5,6を抜歯したことで顎堤が吸収したが、それでもまだ義歯を作製するだけのスペースが得られなかった。そこで2013年3月、顎堤自体の歯槽骨を削去し、強制的に義歯作製のためのスペースを確保した。

 上段は2013年6月の状態。右上3、右下4(移植歯)および左下4に暫間のOPAアタッチメントを装着した。なお、左上のミニインプラントにもOリングゴムを装着してOPAアタッチメントの代役とした。
 つぎに下顎の2~2の挺出を元に戻すために、まず下顎左右2の遠心にミニインプラントを植立し、歯科矯正の際の固定源とした。約8ヵ月かけて2~2を圧下させた。さらに、上顎義歯の咬合平面を整えるために、右上3および左上5(移植歯)の歯冠長延長術を施した。14年8月、基礎となる治療はすべて終了し、これより補綴処置に移行した。

 2015年6月、初診終了時の状態。初診より3年2ヵ月が経過してしまった。患者さんには長い間通院してくださり、心より感謝する次第です。上下顎とも支台歯が左右側にあることから、義歯の安定はすこぶるよい。左上のミニインプラントは役目が終わったので本来なら除去すべきところであるが、特に問題もないことからこのまま置いておくことにした。

 義歯装着時の状態。通常ならばコーヌス義歯を選択することが多いが、この症例は左上5および右下4が移植歯であるため、流石にあまり側方力をかけたくないと思い、磁性アタッチメントを使用した。左下6の近遠心根は根面板を装着した。
 根面アタッチメントを用いるとき、義歯で支台歯を覆ってしまうと、唾液による自浄作用が得られず、根面カリエスを生じることが多い。そこで今回は、磁性アタッチメントおよび根面板の上に金属の外冠を作製し、支台歯の周囲をすべて開放した。

 初診終了5年2ヵ月後、2020年8月の状態。右上6の口蓋根を移植した右下4の歯に、歯周ポケットが頰側で8mm認められた。実は2018年7月のリコール時から右下4にフィステルが生じていた。その時歯周ポケットはなく、19年7月の時に6mm存在した。移植した際、根尖部を滅菌スーパーボンドで封鎖したが,不十分であったかもしれない。
 その他は特に問題ない。


 義歯はまったく問題なく経過している。支台歯根面を開放したことは,根面マージン部の2次カリエス予防にとって,十分意義がある。
 最後のあがきとして、右下4の歯周ポケットに,歯間ブラシを挿入するようにお願いした。
 2020年12月、右下4の移植歯が自然脱落した。右側の咀嚼では義歯が若干動くため、噛みにくいはずである。無髄歯である右下2を支台歯に組み込むのは難しく、ここはやはりインプラントの出番かと思ったが、顎堤の幅がなく、また患者さんが右側でも十分咀嚼できるとおっしゃるので、経過をみることになった。