10.移植歯が偏咀嚼主機能歯の場合(症例1)

 2014年4月初診、76歳女性。主訴は右上6の違和感。臼歯部で咬合しているのは右側の上下6のみであり、当然ここが咀嚼の中心となり、力学的にそこに問題が生じやすい。
 ここで、臼歯部において片側のみに咬合支持があり、そこで主に咀嚼をする歯のことを偏咀嚼主機能歯と呼称したい。通常、臼歯部(特に大臼歯部)の歯を初めて1本失った場合、反対側が習慣性咀嚼側になる割合が高い。ましてや、片側の臼歯を全て失った場合は、反対側で咀嚼するのは当然である。すなわち、義歯あるいはインプラントを装着したとしても、噛むことはできるが、歯根膜がないため美味しさを感じにくく、人は食感を味わうために上下に歯があるところで噛む。
 まず、右下5および6のう蝕処置を行った後に下顎に暫間義歯を装着し、下顎位を確保すると同時に、食感は味わいにくいが左側でも噛める状態にした。この際、左下4および5の残根は咬合力が加わると痛みが生じたため抜去した。つぎに、左上3の感染根管治療および全体の歯周基本治療を行った。主訴の右上6は近心舌側に10mmの歯周ポケットがあった。とりあえず、1ヵ月間感染根管治療を施したが、歯周ポケットが全く改善しなかったため、抜去した。

 2014年10月に右上6を抜去し、15年2月に右下7を右上6部に移植した。この際、ドナー歯に挻出力を与え抜歯しやすいように工夫し、また受容側においては、メスで顎堤中央部に切開を加え、頰側の歯槽骨を側方に押し広げた。

 2015年1月、左上4に歯肉膿瘍が生じた。歯周ポケットが頰側に10mmあり、歯根破折を疑った。しかし、根管内方向から亀裂線がみられなかったため、念のために感染根管治療を行ってみた。2ヵ月経過をみたが、歯周ポケットが改善しなかったので抜去した。抜去歯を観察すると亀裂が確認できた。
 15年4月、上顎中切歯の歯根端切除手術を行った。根尖は造影性のあるスーパー・ボンドにて封鎖したが、10月のデンタルX線写真で左の根尖にスーパー・ボンドの痕跡がみられない。治療の稚拙が原因であるが、なぜ外れたかよく分からない。


 2015年6月、ほぼ全ての基礎治療が終了した状態。移植歯も特に問題なく機能している。上顎は条件の悪い歯が多いため、将来の変化に対応しやすいコーヌス義歯を選択することにした。下顎は、暫間義歯で特に問題がなかったため、この形を踏襲し、大連結装置に強度を保たせた金属床義歯を製作することにした。

 2016年4月、初診終了時の状態。移植歯の歯周ポケットは頰側で5mm認められた。水平的動揺も若干あり、将来が心配な状況であった。左上6の遠心は初診時8mm、初診終了時にも6mm残存してしまった。もちろん、歯根端切除手術を施した左右1の予後も心配である。このように、上顎に予後不安な歯が多いが、可撤式義歯なので将来何とか対応できるのではないかという安心感もある。下顎は全ての残存歯が有髄歯なので将来の不安は少ない。

 初診終了時、義歯装着時の状態。下顎義歯において、左下3のクラスプのラグと金属床のフレームを近接させ、将来顎堤が吸収し、対合歯が挺出した際に、そこで切断できるよう対応しておいた。(レストの位置でリベースすると、対合歯の挻出分、下顎の人工歯の削去量が大きくなるので、挻出量によってはクラスプを付け替えた方が、調整量が少なくてすむ。)

 移植歯である右上6の経過であるが、初診終了後1年6ヵ月の2017年11月の時点で、舌側の歯周ポケットが10mmの値を示した。偏咀嚼主機能歯であり咬合力の荷重負担が大きいことが悪化の一番の原因と考えられる。内冠を除去し、力を解放し、3ヵ月後に歯周外科を試みたが、もう既に肉芽が歯根を覆っている状況であり、抜去せざるを得なかった。コーヌス冠による2次固定効果は何の役にもたたなかった。

 2018年4月、右下6に歯冠破折がみられた。対合歯がなくなってもまだここで咀嚼しているのかもしれない。また19年2月に、右上3の歯髄が失活してしまった。形成量が多過ぎたと言われればそのとおりであるが、力も関与しているのではないかと勘ぐってしまう。同年5月、左上6に歯肉膿瘍が生じた。内冠を除去し、歯周ポケットが10mm以上になってしまった口蓋根を抜去した後、10月、頰側2根にそれぞれ根面板を装着した。移植の失敗した右上6部の顎堤はやせ細り、心が痛む。20年2月、右下2の歯髄が失活した。16年3月に行ったCR充填が歯髄に近接していたことが理由であろう。
 今後上顎前歯に問題が起きると、一番なってはいけない咬合様式である左右すれ違い咬合に陥ってしまう。上顎左右犬歯が無髄歯であることから、余計に心配である。