抜髄しない

1.外傷歯の歯髄保存

 2012年9月,ブランコから落ちて右下1を破折した,当時7歳の女の子.その日はスーパーボンドにて露髄面を閉鎖した.なお,当院ではダッペンディッシュならびに筆をパックし,オートクレーブ滅菌したものを常備している.¬歯髄が保存でき,さらに退縮することを期待して10月に仮の歯を装着した.1年2ヵ月後の13年11月,デンタルX線写真を撮影したところ,歯髄が退縮していることを確認した.そこで歯質にピンを2本植立し,これを保持にして,保存しておいた欠けた歯を接着した.切断面がライン状に残り,審美的にはあまり美しくないが,歯の保存にとっては最良の治療法であると思う.16年12月,術後3年たったが,順調である.

2.AIPC による歯髄保存

 2017年4月初診の33歳女性。左上の歯がしみるとの主訴で来院。デンタルX線写真から、左上4,5,6にう蝕が認められた。特に、左上5の遠心は、歯髄に近接していた。浸潤麻酔下でのう蝕除去は、患者さんの知覚がないために歯髄まで達してしまう危険がある。そこで、無麻酔下で患者さんが我慢できるところまでまずう蝕を除去した。(スライド中段左) つぎに、タンニン・フッ化物合剤(HY剤・ハイ-ボンド テンポラリーセメント ソフト)を貼付し、非侵襲性歯髄覆罩(AIPC)を実施した。このケースではスーパーボンドセメントにて緊密に閉鎖した。(スライド中段右) この状態で3ヵ月経過を観察した。
 HY剤は、感染歯質の無菌化、歯質の硬化および歯髄の退縮の効果が期待できる。これらを確認し、さらに残存しているう蝕を除去した。(スライド下段左) その後、印象採得、インレーを装着した。なお、妊娠してしたため術後のデンタルX線写真は2020年3月撮影。
 抜髄した歯は、将来、細菌の取り残しから根尖病巣が生じる危険があり、また歯質の弱体化から歯根破折が生じやすい。これらを予防するためには、可能な限り歯髄の保存に努めるべきである。

3.ブリッジ形成時の露髄

 初診は1994年,当時21歳男性.2016年1月に転倒し,前歯を強打した.2月に来院.右上1は電気歯髄診断器を用いた試験を行っても反応がなく,また舌側に10mmの歯周ポケットが認められた.歯根破折を疑ったが100%診断が確定できないため,まず感染根管治療を行ってみた.3月(スライド上段),改善傾向はまったくみられなかったため,右上1は歯根破折と診断し抜歯することにした.抜歯する前に暫間被覆冠を製作しようと隣在歯である左上1および右上2の切削に取りかかったところ,極僅か形成した時点で左上1の遠心が露髄してしまった.直ぐにスーパーボンドで閉鎖し,暫間のブリッジを製作した.同時に右上1を抜去し,破折線を確認した.
 約半年後の9月,再形成を行った.「3〜4月はだいぶしみた」とのことであったが,9月の時点では消失していた.さらに,2ヵ月経過をみて,11月にもう一度再形成を行った.
 一度に多く形成するとまた露髄する可能性が高くなるが,日を追って少しずつ形成すると,歯髄が刺激に反応して退縮するので露髄しにくくなる.
 しかし,11月の時点で暫間被覆冠の厚みを計測すると1.1mmしかなかった.良好な見た目を得るには,金属0.5mm,ポーセレン1.0mm必要であることから,まだ0.4mm形成が足りなかった.しかし,これ以上の形成は危険だと判断し,暫間被覆冠の方を0.4mm厚くし(スライド中段右),患者さんに使用してみてもらったところ,特に問題ないという返事をいただいた.歯科技工士にはこの被覆冠と同じ形態,すなわち少しオーバーカントゥアな最終補綴装置を依頼した.12月にメタルボンド冠ブリッジを装着した.念のために仮着中であるが,20年7月の時点では特に問題なく経過している.


4.歯科矯正により犬歯の抜髄回避

 右下にはインプラントが装着されており,長い間自分の歯が上下にある左側ばかりで咀嚼していた.そのためか,左上4,5の歯の動揺が増し,連結固定が必要になった.また,左下3にも2次カリエスが生じ,左下ブリッジの再製作も必要になったので,この際左側の上下顎にコーヌス義歯を製作することにした.ここでは特に,左下3が前方に傾斜していることが問題となった.
 義歯は咬合平面に対して,垂直方向に着脱することが原則である.左下だけでみると,元々ブリッジが入っているので,着脱方向を前方に傾斜すれば補綴装置の装着は可能である.しかし,将来右下との連携が必要になったとき,着脱方向を咬合平面に垂直にしておくほうが望ましい.
 スライド上段の模型の赤塗り部分を削去すればよいのだが,そうなると抜髄は必須である.将来左下5を失うことがあっても,左下3が有髄歯のまま保存できていれば,十分義歯で対応できる.そこで何としても左下3を抜髄することは避けたかった.まず2015年6月,ミニインプラントを固定源に用いることで,遠心方向へのアップライトを開始した.8月,遠心へのアップライトは完了し,暫く保定した.
 ところが,16年1月,暫間被覆冠を外してみると今度は頰側に傾斜しているのに気が付いた.そこでもう一度,舌側に傾斜移動を行った.3月,舌側への移動が終了した.私の拙い治療で治療期間が長くなってしまい,本当に申し訳ないと思う.
 8月,左下3を抜髄することなしに,コーヌス義歯を装着することができた.21年3月時点では,特に問題ない.