術者1年目症例の長期経過・咬合挙上

 初診は1980年、46歳の男性。私が歯科医になった年の患者さん。初診時上顎は、右上6、左上4、6以外の歯はすべて残存していたが、歯周病が重度に進行していた。今なら保存できる歯が多々あったと思うが、当時は科別診療で、歯周病を担当する保存科から戻ってきた時は、5本しか残っていなかった。下顎は、右下3から左下4までの7本が残存していたが、3本が抜歯されていた。
 スライドは、1983年7月、初診終了時の義歯装着時の状態である。今になって見返すと、この時の咬合高径が高いのではないか?と思えるが、当時は全く頭をよぎらなかった。なお、この件に関しては、あとのスライド9でもう一度検討する。

 右上4、5は連結冠、左上3、右下3、左下3にBona 604A根面アタッチメント、右上1、左下2、4に根面板をそれぞれ装着した。なお、左下4は1988年に抜歯した。

 1985年から1991年にかけて、度々上顎義歯の破損が生じた。この原因は、1983年に作製した金属フレームの強度不足が原因であると当時は考え、1992年7月に義歯を再作製した。

 スライド上段に右上4、5の経過を示すが、1983年から2000年までは、それなりの金属のすり減りすなわち咬耗がみられるが、2000年から2001年にかけて急激な咬耗が生じていた。咬合が低下したので、2000年には人工歯にレジンを盛り足し、反応を確認したのちに人工歯を交換した。また2001年には下顎の大連結装置が真二つに折れてしまった。これらの原因は、当時患者さんがおかれていた環境の状態、大変なストレスが加わっていたことが大きく影響を及ぼしているのではないかと推測していた。
 2001年8月、アタッチメントのメール部がすり減ってしまい、維持力が全く失われた左下3を、The Baer Stepped Anchorに変更したのを機に、2001年10月、再々度義歯を作り直した。

 2003年4月、左下2の根面板を再作製した。2007年6月には右上4に歯根破折が生じ、抜歯となった。2009年10月、維持力回復のために右下3を再作製した。2011年3月には、右上5を抜歯した。
 上顎は右側に支台歯がなくなったため、左上3のアタッチメントによる維持力だけでは義歯の安定が得られなくなった。そこで2011年9月、義歯床により口蓋を覆った。しかし、左上の歯が義歯の回転中心となり、同部の破損が生じたため、メール部を除去しレジンの厚みを確保した。しかし、それでも同部の破損は収まらず、左上の歯の抜歯を考えたが患者さんの了解が得られなかったため、できる限りの歯質を削去し、レジンの厚みを確保した。2011年10月、この状態で小康が得られた。

 2012年1月、義歯を新製した。これで4回目である。

 2017年6月、右下3が保存不可能となり抜歯することになった。ここで、この時を待っていた残根状の左上3を右下3部に移植することにした。(2017年7月)

 2017年10月の状態。右下3が復活したことにより、下顎の義歯の安定は著しく向上した。

 ここで、1983年の第1回から2012年の第4回までの新義歯作製時の正面観を比較してみる。
 1983年の咬合はどう見ても高いような気がする。1991年にかけて、義歯を壊しながら徐々に生体が咬合を低くしているのが見てとれる。咬合が低下することは良くないと信じていたので、1992年咬合を高くした義歯を新製した。また、2001年にかけて徐々に咬合が低くなったが、同様な考えから2001年、咬合を挙上した義歯を新製した。そしてまた、2011年にかけて右上4、5の歯を失いながら咬合は低くなっていった。さすがに、2012年の時は、咬合を挙上するのは危険であるという認識が出来上がっていたので、咬合高径を上げることはなかった。
 一般的に咬合を挙上すると咬みやすくなる。また、口唇から見える歯の長さが増すおよび顔の皺が目立たなくなるので見た目が良い等の利点がある。しかし咬合力が増すため、残存歯や義歯を壊しながら、もとの高さに戻ろうとする。元々咬合力の弱い人は問題が生じないと思うが、咬合力の強い人の咬合を挙上するとあとで色々トラブルが生じてくるようである。
 この症例では、義歯の破損が度々生じたが、その原因はただ患者さんの咬合力が強いからだと思い込んでいた。患者さんは酒屋を経営しており、配達等で常に重い物を持ち運んでいた。この時、歯を食いしばっていたのではないか?というイメージがあった。しかし本当の原因は咬合高径を挙上したことではないかと今は思っている。もっと早くに気が付けば、何回も無駄な義歯を作製しないで済んだと大いに反省している。


2017年12月7日掲載